まとめてちゃんと読みやすくしようと思ったのですが箇条書きだけでメンタルがボロボロになったのでそのまま載せます、読みにくくてすまんな
不幸自慢のようで読んでいていい気持ちはしないと思うし、暴言がたくさん出てくるのできついと感じたらその時点で読むのをやめていただいて構わない
・自分は親ガチャという言葉の肯定派である
・自分は親ガチャ爆死した当人である
・自分の親について
生まれは小さな港町の漁師の家である
親同士の出会いは新興宗教を通じてのものである(自分は宗教二世である)
母の家系がうつ病や精神疾患を患いやすい家系であった。
母が自殺した。
・親が起因となって自分に降りかかったこと
新興宗教にのめり込んでいる叔母が母の代わりとして同居し、家庭を支配するようになる
家の手伝いを強制された、当時小学3年生。
家の手伝いというのも、これをやれと指示されるのではなく「気付いて自分でやれ」というものだった。
例えばキッチンのシンクが汚れていたら磨け、食器が洗ったままカゴに入っていたら拭いて棚にしまえ、など
それをわたしは上手くできなかった、気付けなかった、指示して貰える方がマシだと子供ながらに思った。
手伝いが上手くできなければ遊びに行くことが許されなかった、叔母と同居していた5年間で遊びに行けたのは叔母が遠出する間の数日間だけだった。
最初は怒られても謝れば許してもらえた、だがそれもどんどん許されなくなっていった。私の謝罪も「ごめんなさい」という口頭のものから、最終的には泣き叫びながらおでこを床に擦り付けて土下座、というものになっていた。子供に土下座させる大人っているんだな。まあ許しては貰えなかったが。
「謝れば許して貰えると思うな」
口頭での注意が、怒鳴られるようになり、自分の失敗とは関係のない罵倒に変わり、食べ物を与えられないようになり(丸一日水一杯で過ごした日もあった)、風呂に入ることを許してもらえず(酷い時は一ヶ月以上入らせてもらえず、汚いと学校でいじめられた)
物が飛んで来て、目の前で自分の服が切り刻まれ、殴られ、髪を捕まれ放り投げられ、冬の北海道で夕方から日付が変わるまでトレーナー一枚で外に放置されたりもした(ちなみに部屋がいくら寒かろうとストーブをつけさせてはくれなかった)
もちろん家に金などなかった、ご飯を食べられてもふりかけご飯、もともとお風呂は週に2回
卵かけご飯が本当に贅沢だと思っていた、クリスマスも誕生日もなかったし、夕方のアニメも部屋から出るなと言われていたので見たことがなかったし、漫画も友達に借りたことがバレれば殴られたので読めなかった。読めたのは絵本作家の絵本と宗教の本だけだった。
普通の家庭が本当に羨ましかった、運動会のお昼ご飯も誰も見にきていないので、先生に黙って走って家に帰り適当にご飯を書き込んで学校に戻った。惨めだった。
服も穴が開けば買って一応貰えるが、選ばせてはもらえず知らない人のお下がりも着たし、学校に着て行く服も靴もどこか昭和くさくて、クラスの子達にダサい、卒業式まで空気読めない服着てくるんだなと言われた。うるせえバカ。
靴に穴が空いたので買ってもらったことがあった、珍しく古臭くない普通の靴だったので喜んで履いていたが不良品だったのかすぐ壊れてしまい、バレたら殴られると思った小学生の私は部屋にこっそり持ち帰りボンドでくっつけようとした(今考えればボンドでくっつけた所ですぐ壊れるだろうと思うのだが兎に角殴られたくなくて必死だった)が叔母に見つかった。意図的に壊したのだと決めつけられしこたま殴られた。結局殴るのかよ。
どうしようもなく死にたかった、殴るならこのまま殺してくれと思った
死ねと言われた、こっちだって死にたいと思った。これが小学校卒業するまでに自分の身に降りかかったことの一部である。
ここまで全て叔母にされたことで、「父は助けてくれなかった」
宗教上の立場の問題なのか今のわたしにはよくわからないが、今になって酔った父がいうには「ああしないと体裁が保てなかった」ということだ。公認サンドバッグ。
なんなら最後の方は父も一緒になって私のことを殴っていた。「味方になるから」などと口先三寸で慰められた直後のことだった。○してやると思った、心の底から。
ここまで叔母のことばかり書いてきて、なんとなくお察しの方もいるだろうがまあ実の父もろくでもない人間である。
アル中酒カス酒乱ジジイなのだ。
・母が存命の時から夜酒を飲んで暴れる、物を壊すなど日常茶飯事だった。もちろん暴言も。
叔母に支配されている期間は大人しかったが、叔母の支配から抜け出して父と兄と私3人で暮らし始めてからはまた酒カスになってしまった。
毎日毎日呂律が回らずフラフラと歩けなくなるまで酒を浴び、同じ話を何度もし、私たち子供はもちろん職場の愚痴など汚い言葉で1人で喋り続けた。
私が鬱で苦しんでいる時、酒に酔った父に意地の悪い嫌味を言われ、希死念慮に駆られた私の暴走で救急車が来ることもあった。兄がいなかったらとっくに父を○しているし私も死んでいることだろう。
酔いすぎて排泄がうまくいかず、トイレと廊下が糞尿まみれになっていてそれを私が片付けるということがあった、当時私は20歳だった
20にもなって60過ぎた親の不始末を片付けるということが惨めで、なんでうちの親はこうなんだと苦しくて泣きながら片付けた。
こんな感じなのだうちの大人たちは。
自殺した母、家庭を支配し虐待する叔母、見て見ぬふりをする酒カス父
家に金もない。借金がないだけマシだと今でも思っている。父が自己破産してくれていて良かった。ウン百万の借金があったのは大人になってから聞かされたことだった。
さて、ここまで読んでくださった方たちはどう思うだろうか?
自分の親と比べてどうだろうか?
私は未だに子供時代を思い出して泣くことがある、苦しさと希死念慮にかられることがある、27にもなる大人がだ。
これが果たして親ガチャ失敗と言わずなんと言えるだろうか。
というのが私の言い分です。
まあ確かに「過去を糧にして自分の力で未来を切り開け」たらそれほど素晴らしいことはないと思っていますし、自分もそうなれたらいいなと思います。
辛い経験があったからこそ他の人の辛さもよく分かりますしね。
さきにも書きましたが、私は本当に叔母と父を○してしまいたかった、それでも子供に大人が殺せる訳もなく自分の身体を傷付けて、首を吊る真似をして死んでいるように生きてきました。
自分が大人になった今ですが、子供に暴力を振るう人間の気持ちなんて分かりませんでした。
ここまで、そしてこれからも私は親のことで苦しみ続けるでしょう。親が死ぬまで、死んでも。自分が死ぬまで苦しみ続けます。過去は消すことが出来ないのですから。
暗くてすまん、消すかもしれないとだけ言っておくわね