anonymous

元手帳持ちがギリギリ普通の人間くらいになったやつです。そんな感じのあれです。

死なないだけで褒めてくれ!

 

どうも〜

最近Twitterに投稿しようと思って書いてみたものの、あまりにも暗すぎてツイートするのをやめて下書きに入れておいたやつらが溜まってきたので、それを何個か消化して寝ることにします。

ただそのツイートをしようとした時に何を考えていたのかっていうオチもクソもない、暗いだけの内容です、すんません

 

 

▷自分の中のお金の価値観について

自分の中のお金の価値観が、【貯金>>>超えられない壁>>>自己投資】だから、

欲しいものがある時でも、誰かに後押ししてもらえないと買えない。

お金がなくなることが怖すぎる。うちの猫が死ぬことの次に怖いから世界で二番目に怖い。

実際、職を転々としていて精神も病んでアル中みたいになって、ついぞ自分の携帯料金や

生理用品まで買えなくなり、実家で親や兄に金を出してもらってた時期があったんだけど

本当に人生で一番死にたかったのはその時期。今思い出しても具合悪くなるくらいしんどかったし

人が一生懸命働いたお金で生きてるうんこ製造機っていう現実がエグかった。

お金の余裕は心の余裕。お金がないと安心して生きられないから、稼いだ分はできる限り貯蓄に回して

生活必需品以外は滅多に買わない、みたいな生活が染み付いてる。

 

 

 

▷将来の夢

友達と、うちら10年後何してるんだろうね〜みたいな話になった。

まあまず頭に浮かぶのって結婚してるのかしてないのか、だけれども

最近思った、私は恋愛しない方が精神が安定していて良い。

別に恋愛で苦しむほど病んだりはしないけれど、怒ったり落ち込んだりはする。

そのネガティブなエネルギーを発生させやすい『恋愛』、そもそもしない方が

楽なんじゃね?ただでさえ不安定なこの精神を自ら不安定にするようなことしなければいいのでは?

といった結論に辿り着いた。ということで、結婚は望まない。

じゃあ一人で何をしたいのか?特にしたいことはない。

親が死んで、兄が結婚でもして一人暮らしになったら、猫はもう新たには

迎えないことにしているし、本当の孤独になる。

別にそれでもいいと思っている。誰にも迷惑がかからないのなら。

毎日普通の人間と同じように仕事に行って、身の丈に合った普通の生活をして

できるだけお金を貯めて、そのお金で老人ホームに入って静かに死ぬこと

これが最低限の将来の夢だ。

 

ここまで書いて、将来像を書いていたはずなのに

あまりにも暗すぎて遺書かと思った。自分でも書いている途中で悲しくなって

泣きそうにまでなった。わろた。

 

 

▷死なないだけで褒めてくれ!

生理前とかに関係なく、元々メンタルがダメな人だから

月に2〜3回、「死、死〜!!」みたいなことしか思えない夜が来る。別に昼でも来るけど。

その度に、「生きてて偉い、生きてて偉い」と自分を褒めて生活している

わりかし普通の人間と同じように生活できていて、目立って病んだりはしなくなった今でも

死は救済だと本気で思っている節があるし、別に苦しまないのであれば

いつ死んだって構わないと思って生きている。だから死ぬ気でやれとか言われても

「俺はいつだって死ぬ気で生きてるんだが?みんなが死にたくないこと前提でワロタw」

みたいな感じで頭の中のオタクが早口で捲し立ててるし

本当に夜のどんよりを次の日に持ち越さないように、持ち越しちゃったら

持ち越してない!と自己暗示をかけて無理やり切り替えたりと

そういうことが積もり積もって泣きたくて暴れたくて仕方ない夜がある。それが今日。

死なないだけで褒めてくれ!

 

 

 

ここ1〜2か月の下書きツイート解説でした

一番最後のは本当にさっきツイートする手を止めて下書きに入れたやつ。

なので今結構ダメな感じのアレです。

本当にな、死なないで病まないで生きてるだけで褒めてほしいんだよな

でも誰も褒めてくれない、世の中の人間はもっとすごいから。

だから自分で自分を褒めて誤魔化し誤魔化し生きていくしかないんだよな〜〜〜

 

書くのつらくなってきたから終わります

また書きたいことが出来たら書きにきます、またね

生活リズム終わってるわ

 

どうもアラサー無職独身女だ!

 

タイトルは適当に書いたので内容とは関係ないけど、最近思ったこと1個だけ書いて寝ますわ

 

 

うつが寛解してから多分4年くらい経って

死にたいと思わなくなった、ということは何度も書いてるのでお分かりいただけると思うんだけど

うつだった当時からの悩みの種って完全になくなったわけじゃないんですよ、もちろん

 

家族の問題、宗教の問題、社会に上手くとけ込めないこととか

年齢を重ねて、実家暮らしだから親が死んだあとのことだとか

そういう表面化してなかった悩みの種がぽつぽつ出てきてるんですね

今無職だし、仕事はしなくちゃいけないけど

今までみたいに仕事上手くいかなかったらどうしよう...とか悩むんですよ

 

それでも、死にたいとはまだ思わない

 

うつが寛解する前の私だったなら、きっと死にてえ〜殺してくれ〜って思ってたと思うんです

けど、色々悩みながらもどうやって生きていこうかなって

考えられてるってめちゃくちゃ良いことだなって思えて

なんかちょっと嬉しくなっちゃった

 

ダメになったらその時はその時の私が

生きたいなり死にたいなりで考えると思うんです

まあたぶん死にたくなるんだろうなって思うけど

あの地獄みたいな病気から、よくここまで元気になったなと

もちろん周りの人達の助けもあり、1人じゃ立ち上がれなかったけど

それでも私は自分を褒めたいし、最高だなって思いたいです

 

 

 

好きな言葉、座右の銘...とかじゃないけど

自分によく言い聞かせてる言葉があって

 

人生は運とタイミング

 

これに尽きると思いますわ、心の底からね

人生が上手くいくのもいかないのも

全部運とタイミングが悪いからその人のせいじゃない、絶対に

まあ生まれも運に含まれるから厳しいものもあるけどね

努力ももちろん大切だし、努力が実を結ぶのは美しいけど

それだけじゃ幸せになれないもんだよね〜

 

もしかしたら明日超絶ラッキーになるかもしれないし

死ぬほどアンラッキーかもしれないけど

辛い時は「ついてないな」って思うようにしてます

自分責めるのがいちばんお手軽だけど、いちばん苦しいしね

 

 

 

書き終わってあれだけどなんか前にもこんなこと書いたような気もしてるわ

ダブってたらごめんな、自分のやつ読み返すことあんまりねえからよ...

 

 

 

適当に生きていこうね、おやすみ

 

 

焦りってつらい

 

どうーも わたーしだよ

 

またまた書きに来ました、書くことで頭の中ちょっと整理できるからね

メモ帳みたいなもんですわ

 

 

今年の春に数年勤めた職場を円満退職して、失業手当を貰いながら生活してるわけなんですけど

自己都合退社だったので給付制限期間があって、結局来月が最後の支給なんですわ

もともとコツコツ貯めてたお金があるし、失業手当も貰えているし

そんなにお金のかかる趣味はなく、実家暮らしというのもあってまあお金に関してはほぼ困っていない

というのが現状の私なんですけども

 

最近、というかここ1ヶ月くらい、ずっと焦りを感じておりまして

まあそりゃ失業手当も支給期間が終わるし、収入はゼロになるので多少焦ってもまあおかしくは無いですが

なんか結構しんどくなる焦り方をしてて、なぜ自分はこんなに焦ってるんだ?と思いちょっと考えたわけです

その結果、お金のこと以外に理由を2つ見つけたので書いていきます

 

 

①生産性のあることを何もしていない気がする

 

そもそも人生に生産性を求めるのはどうなのか?というのはさておき。

散々無職をしてきた私ですが、無職向いてないんですね

自分がごろごろしている間、家族は1日働いてお金を稼いでくる、という状況を何ヶ月も体験すると、誰にも迷惑はかけていないのに、誰かの迷惑になっている気がしてきてしまうんです

 

(これは多分、20歳くらいの時に精神ズタボロでもお金が無くて働くしかなくて、働いては発狂して仕事をやめてまたお金が無くなる→自分のスマホ代も払えないので家族に払ってもらう

みたいな生活の苦しさが、心の奥に染み付いて離れないからだろうな。と思います。)

 

その「迷惑をかけている」という状況を誤魔化すために、何か生産性のある行動を取らなくてはいけない、と思い込んでいる節があるんです

 

でも、創作や芸術というアウトプット行為は結局インプットが少ない生活をしている今の私にとってはなかなか厳しいもので、毎日絵が描ける訳ではありません。

その結果「何もしなかった、できなかった日」の積み重ねになり、焦り、無力感と自己嫌悪...

みたいな意味わかんないことしてるんですよ

 

そもそも黙って仕事探せやニート

 

って言いたくなると思うんですよ。いやちょっと聞いてくれ次はそれなんだ

 

 

②働くの怖い

 

①では自分は無職に向いてない、と書きましたが、社会人にも向いてないです。ゴリゴリの社会不適合者。

これはもう、今まで自分が就職なりアルバイトなりで経験してきたパワハラモラハラ、人間関係の不和、人格否定とか...思い出しても具合悪くなるな...

そういった経験から

 

転職=地獄の始まり

 

の方程式を頭が勝手に作ってるんですよ

これってもう自分じゃどうしようもなくて、ほんとに苦しいしつらい

春に辞めた職場で、仕事は楽しいんだということを教えてもらったし、私は使えないポンコツじゃない、真面目で頼りになるってずっと褒めてもらって、だいぶ癒えたかと思ったのですがそうでもないもんですね

 

この問題は多分、私がこれから先の人生何度転職をすることになろうと(あんまりしたくないけど)付きまとってくるもので、一生苦しめられるものでもあります

そんな最悪な問題と向き合わなければならない期限が刻一刻と迫っている、という現実に焦っているし逃げたくなっているんだろうなぁ。ということです。

 

以上の事柄で、私は何もしていないのに...いや、何もしていないからこそ、かもしれませんが

心が疲弊するような焦りを感じているということです。

 

人間向いてねえなァ

 

 

天才に嫉妬して、過去に呪われて、勝手に苦しんでバカみたいじゃん...もっと幸せになりたかったなぁ...

 

 

久しぶりにこんな長々と書いた気がします

書いてる途中でまとまらなくなって一旦中断したので支離滅裂かもしれんが頑張って読みといてくれ!!!!俺はもう寝るぞ!!!!!

 

 

最後まで読んでくれてどうもね。またね。

 

 

 

元気は無い

 

 

どうもどうも

数ヶ月ぶりに書きに来ました

 

 

メンタルが健康になって数年がたった私ですが

最近結構メンタルえぐれてるので頭の中のことを書き残しときます〜むり〜

 

 

ここ最近夜の寝付きがあんまり良くないもので

YouTubeで哲学まとめみたいなチャンネルの動画をずっと垂れ流して聞いてるんですよ

哲学とか心理学って、本で読もうと思うと難しそうだし

買って読まないのがいちばん勿体ないじゃないですか

その点YouTubeは解説付きで大事なところはしっかり要約して伝えてくれるし

この本は読みやすい、この本は読みにくい

なんて教えてくれるもんですからまあ便利なわけですわ

 

んで、せっかくならなんかこう

前向きになれそうな動画にしようと思って哲学と心理学見てるんですけども

 

なんか全然腑に落ちない

 

言ってることは理解できるし、それもそうだよなぁと思いはするんですが

自分に当てはめようとすると...なんかこう...違うなって思っちゃって、全然受け入れられなくて

自分のへそ曲がりというか、人間としての向上心のなさみたいな部分を見つけてしまった気がして

逆に憂鬱になりましたわ

 

ニーチェの哲学で言うところの、ニヒリズムに飲み込まれた末人ってまんま私みたいな人間なんだろうなと

 

俺はもうダメだ‼️‼️‼️‼️‼️

 

 

 

そんな感じ。

もう何書きたかったのか忘れちゃった〜頭も回転してくれないし終わりだ〜

 

またそのうち来ます、どうもね

 

 

有り余る時間

先月辺りに書いて下書きに入れていたものです。

 

 

どうもどうも

実は母方の祖母が亡くなりまして、お通夜後の寝ずの番をやってて暇なのでブログ書こうかなと思います

結構長い上に暗いので時間ある人だけ覗いていってもらえたら嬉しいです。

 

やっぱり葬儀に出てて考えるのはばあちゃんのことなんですけども

私が花屋に勤める前は年に1回くらい会ってたんですね

その度歳をとって腰が曲がってくばあちゃんをみて、長生きして欲しいなあなんて思っていたのが4年前。

花屋に勤め始めてからは大型連休となると仕事が繁忙期で、長期休みなんてものもない職種だったもので

まる4年会えていませんでした。

 

先月の道東旅行の際に、祖父母の家に寄ってはみたんですが

祖母は入院中で面会不可、祖父は施設でコロナにかかってお休み中だったので

両方とも会えなかったんですね

またお盆頃に会いに行ってみるか〜と兄と話していたところ、従姉妹から祖母が危篤だと連絡が入りました。

 

祖父母の家がある街でコロナが流行っていること、私の兄の仕事がなかなかに忙しく休みが取りにくいこと、もし会いに来ても亡くなればまたすぐ来なくてはいけなくなることなどから、母方の親族からはリモート面会を勧められました。

 

でも、4年間会えなくて、やっと仕事辞めたから今年会えると思ったのに、死んでしまったら会えないじゃないか!そんなの絶対に嫌だ!!

という私のわがままで、兄に何とか休みを取ってもらい緊急で祖父母の家へ。

着いたのが日曜日で、面会が難しかったので月曜の朝一で面会に行くことになっていました。

 

しかし、祖母は月曜の早朝に天国へいってしまいました。

病院に着いたのは看護師さんからの電話を貰ってから10分後。エレベーターのドアが開いたら目の前に主治医の先生がいて、「先程眠るように...」と。

 

4年ぶりに会ったおばあちゃん

おばあちゃんの目はもう開きませんでした

亡くなった私の母とよく似た引き笑いも、はなちゃんお母さんに似てきたねえ、と嬉しそうに話す声も、もう聞こえません。

手を握ると、まだ温かかったです。

間に合わなかった。

 

 

 

ものすごく後悔しています、今も。

花屋の時仕事無理やり休んで会いに来れば良かったな、日曜日無理言って面会させてもらえばよかったな。ずっとこんな感じです。

 

父方の宗教の都合(?)で、私と兄は母が亡くなってから10年以上祖父母と連絡がとれませんでした。

母方の祖父母は、うちの父方親族から「クリスマスプレゼントも誕生日ケーキも要らないから、息子と娘(私達兄妹のことです)には連絡しないでくれ」と言われていたようです。

その結果、母が死んでから祖母に会えた回数は片手で余る程でした。

もっとたくさん遊びに行きたかったし、話もしたかったし、着物の着方も教えて欲しかった。

 

会いたい人には「いつか」ではなく今会いに行くべきだなと思いました。

居なくなってからでは後悔が募るばかりです。

 

 

まあこんな感じの暗い内容でした。

今もずっと後悔してます、本当に会いに行けばよかった。

これを読んでくれた人が、大切な人にしばらく会えていないのなら

無理やり時間を作ってでも会いに行くのも悪くないのかもしれません。

それはきっと貴方の中でも相手の中でも、大事な思い出になるはずです。

 

 

まとまらないけどとりあえず書くか

 

ども〜わたしです

 

全然内容まとまらないけどモヤモヤするからとりあえず書き始めることにした

なんの脈絡もないし、ただ思ってることってだけですわ

 

 

GWに母方の祖父母の家に行ったんですけど

祖父母は母の弟夫婦が面倒見てるので、その2世帯で一緒に住んでるんですわ

じじばばはタイミング悪くて会えなかったから、おじおばと従姉妹とお酒飲みながら喋ったりして楽しかったんだけど

夜寝るか〜ってなった時におばが布団敷いてくれてましてね

ありがとう〜って言いに行った時に、言われたことなんですが

 

「おばさんはあなた達と血は繋がってないけど、困ったことがあったらいつでもなんでも言いなさい。頼ってね。」

 

これを言われた時、嬉しかったのは勿論のことなんだけど、なんだか凄く満たされた感覚があって

あったかくて泣きそうになっちゃったんだな

 

きっとこれが私がずっと欲しかったものなんだなって思いましたね

母親から貰えるはずだった愛情を、母が死んだことによって貰えずに

母が死んでからの20年間ずっと渇望して生きていたんだなと気付きました

 

私はいつも「誰か」に認められたくて

「誰か」に褒められたくて

「誰か」に愛されたくて仕方なかったんです

それは誰でもいいと思ってました、誰でもいいから抱きしめてくれ、大切にしてくれと

恋愛でも才能でもなんでもいい、愛して欲しいと

 

でも私は「おかあさん」に認められて、褒められて、愛されたかったんだなと。

 

おじおばに心配されるのも、世話やかれるのも、甘やかされるのも、すごく満たされて幸せだったな

 

 

彼氏がいる時って幸せは幸せなんですけど、なんか欲しいものと違うなって思う時があって

その正体もこれなんだな〜と理解出来ましたね

私が欲しいのは母親で、可愛い宝物として大切にされたかったんだなぁ

 

 

なんかそんな感じの話です。

 

 

人生を自分のものにしろ

 

てことで書きに来ました、最近寒ない?(北国並感)

 

今日のテーマはタイトルの通りです、書き始めたけど特に何書きたいか決まってないからゆるく書いていくね〜

 

 

誰かのために頑張ることやめたい

 

これは自分の性格なのか、はたまた刷り込みの賜物なのかわからんけど

自分が起こす行動の原動力って常に自分ではなく誰かになってる気がしてて

この誰かは不特定多数じゃなくて明確な一人の人間、例えば父とか上司とかなんだけど

「この人を助けたいからこれをする」「この人が機嫌悪いからこれは今やめておこう」とか

結構他人が原動力となってる。

助けてあげたいとか、力になりたいとかならまだポジティブだからマシなんだけど

悪い方向に考えれば、常日頃から他人のの顔色を見て生活してるって感じなんだよな

 

これってすごい損だなって思ってて、

みんなそりゃ社会で生きていくにはそれなりに他人の顔色も見なきゃいけないけど、私の場合は家族の顔色まで伺って生きてるから

自分がこうしたい、ああしたいは二の次三の次になってるんだよな

 

しかもこれ無意識なんですわ

 

振り返って考えれば、自分主体で考えて起こした行動ってあまりにも少なくてビビりました

いつからこんなんなのか、思い出せないから多分子供の時からなんだろうなと

 

自分がこうしたい、ああしたいっていう気持ちは

ない訳では無いんだけど実は結構薄くて

正直自分のために何かをしようと思い立っても何したらいいかわからんのですわ

 

困ったもんだね

 

 

これに気付いたのが比較的最近なんだけど

気付いてからはちょっと改善できないものかと試行錯誤してます

染み付いた思考回路を組み替えるのってなかなか難しいんだけど

この先の人生、一人で生きていく時に他人が原動力になるとしんどそうだなって

今から練習してる感じすね

 

 

何書きたかったのかわかんなくなっちゃった

わはは

そんな感じの今日この頃です