2日ぶりだね。私です。
何個か前に書いた「強烈な才能が欲しかった」ってやつを読み返して、なぜ自分は才能が欲しいんだろうと考えたわけです
そもそもの人間としての性格とか趣味嗜好も関係あると思いますが、そんなん誰でも考えりゃわかることなのでそれ以外のことですわ
根強い「認められたい」の気持ち
おそらくあの「才能」に対する並々ならぬ渇望は、自分の根底に「認められたい」「見返したい」「許されたい」っていう気持ちがあるせいなのかなと
親ガチャの話でも書きましたが、お世辞にも愛されているとは言えない幼少期だったので
『褒められる』ということに飢えていたし、今も飢えていると感じてます
例えば、絵を描いたとき。
描いた絵を親に見せれば、一般的な親御さんであれば「じょうずだね」「これはなに?おしえて」など、子供を褒めたり、その絵に関心を示して「子供が描いた絵には価値がある」と言語化せずとも伝わるような行動をとると思うんです。あんま知らんすけど
私の場合はそもそも絵を見てもらうという行為が出来ませんでした、関係が悪かったので
親との会話ややり取りの不足、機能不全家庭
そういう中で息を殺して生きてきた私は、その環境から解放された時に、ただ漠然と「褒められたい」という欲を抱えていました
あなたはそのままで十分素敵だ、宝物だと伝えられて育った大人と
複雑家庭サンドバッグの私とでは自己肯定感に雲泥の差があるってことですね
今回は親の悪口言うあれじゃないんでこんなもんでやめときます
そんなこんなで、アラサーになっても誰かに認められたくて、褒められたくて、褒められることで埋まらない穴を埋めようとしてるのかなと
じゃあ褒められるためには何が手っ取り早いのかといえば、人の目について目立つことなんすね、私にとっては
だから才能欲しいんだなって。子供だね。
まあまあこんな自己分析したとこで、穴が埋まるかといったら多分埋まらんし
そもそも不特定多数に認められたところで、結局親から受け取ることが出来なかった愛情はまた少し違ったものな気がするから
一生何かに飢えて生きてくのかなと思います
今の私に必要なのはママってことか(?)
そんな感じのダラダラ自己分析でした。
そういえば、何年やってるか分からない上に放置されてた時期もあるこんなブログでも
アクセス数20000こえてました
みんなどっから見てんの?よく見つけたね、ありがとう読んでくれて
これからも書きたいことがある時か病んでる時に更新していきますので
何卒よろしく〜
それではおやすみ