anonymous

元手帳持ちがギリギリ普通の人間くらいになったやつです。そんな感じのあれです。

有り余る時間

先月辺りに書いて下書きに入れていたものです。

 

 

どうもどうも

実は母方の祖母が亡くなりまして、お通夜後の寝ずの番をやってて暇なのでブログ書こうかなと思います

結構長い上に暗いので時間ある人だけ覗いていってもらえたら嬉しいです。

 

やっぱり葬儀に出てて考えるのはばあちゃんのことなんですけども

私が花屋に勤める前は年に1回くらい会ってたんですね

その度歳をとって腰が曲がってくばあちゃんをみて、長生きして欲しいなあなんて思っていたのが4年前。

花屋に勤め始めてからは大型連休となると仕事が繁忙期で、長期休みなんてものもない職種だったもので

まる4年会えていませんでした。

 

先月の道東旅行の際に、祖父母の家に寄ってはみたんですが

祖母は入院中で面会不可、祖父は施設でコロナにかかってお休み中だったので

両方とも会えなかったんですね

またお盆頃に会いに行ってみるか〜と兄と話していたところ、従姉妹から祖母が危篤だと連絡が入りました。

 

祖父母の家がある街でコロナが流行っていること、私の兄の仕事がなかなかに忙しく休みが取りにくいこと、もし会いに来ても亡くなればまたすぐ来なくてはいけなくなることなどから、母方の親族からはリモート面会を勧められました。

 

でも、4年間会えなくて、やっと仕事辞めたから今年会えると思ったのに、死んでしまったら会えないじゃないか!そんなの絶対に嫌だ!!

という私のわがままで、兄に何とか休みを取ってもらい緊急で祖父母の家へ。

着いたのが日曜日で、面会が難しかったので月曜の朝一で面会に行くことになっていました。

 

しかし、祖母は月曜の早朝に天国へいってしまいました。

病院に着いたのは看護師さんからの電話を貰ってから10分後。エレベーターのドアが開いたら目の前に主治医の先生がいて、「先程眠るように...」と。

 

4年ぶりに会ったおばあちゃん

おばあちゃんの目はもう開きませんでした

亡くなった私の母とよく似た引き笑いも、はなちゃんお母さんに似てきたねえ、と嬉しそうに話す声も、もう聞こえません。

手を握ると、まだ温かかったです。

間に合わなかった。

 

 

 

ものすごく後悔しています、今も。

花屋の時仕事無理やり休んで会いに来れば良かったな、日曜日無理言って面会させてもらえばよかったな。ずっとこんな感じです。

 

父方の宗教の都合(?)で、私と兄は母が亡くなってから10年以上祖父母と連絡がとれませんでした。

母方の祖父母は、うちの父方親族から「クリスマスプレゼントも誕生日ケーキも要らないから、息子と娘(私達兄妹のことです)には連絡しないでくれ」と言われていたようです。

その結果、母が死んでから祖母に会えた回数は片手で余る程でした。

もっとたくさん遊びに行きたかったし、話もしたかったし、着物の着方も教えて欲しかった。

 

会いたい人には「いつか」ではなく今会いに行くべきだなと思いました。

居なくなってからでは後悔が募るばかりです。

 

 

まあこんな感じの暗い内容でした。

今もずっと後悔してます、本当に会いに行けばよかった。

これを読んでくれた人が、大切な人にしばらく会えていないのなら

無理やり時間を作ってでも会いに行くのも悪くないのかもしれません。

それはきっと貴方の中でも相手の中でも、大事な思い出になるはずです。

 

 

まとまらないけどとりあえず書くか

 

ども〜わたしです

 

全然内容まとまらないけどモヤモヤするからとりあえず書き始めることにした

なんの脈絡もないし、ただ思ってることってだけですわ

 

 

GWに母方の祖父母の家に行ったんですけど

祖父母は母の弟夫婦が面倒見てるので、その2世帯で一緒に住んでるんですわ

じじばばはタイミング悪くて会えなかったから、おじおばと従姉妹とお酒飲みながら喋ったりして楽しかったんだけど

夜寝るか〜ってなった時におばが布団敷いてくれてましてね

ありがとう〜って言いに行った時に、言われたことなんですが

 

「おばさんはあなた達と血は繋がってないけど、困ったことがあったらいつでもなんでも言いなさい。頼ってね。」

 

これを言われた時、嬉しかったのは勿論のことなんだけど、なんだか凄く満たされた感覚があって

あったかくて泣きそうになっちゃったんだな

 

きっとこれが私がずっと欲しかったものなんだなって思いましたね

母親から貰えるはずだった愛情を、母が死んだことによって貰えずに

母が死んでからの20年間ずっと渇望して生きていたんだなと気付きました

 

私はいつも「誰か」に認められたくて

「誰か」に褒められたくて

「誰か」に愛されたくて仕方なかったんです

それは誰でもいいと思ってました、誰でもいいから抱きしめてくれ、大切にしてくれと

恋愛でも才能でもなんでもいい、愛して欲しいと

 

でも私は「おかあさん」に認められて、褒められて、愛されたかったんだなと。

 

おじおばに心配されるのも、世話やかれるのも、甘やかされるのも、すごく満たされて幸せだったな

 

 

彼氏がいる時って幸せは幸せなんですけど、なんか欲しいものと違うなって思う時があって

その正体もこれなんだな〜と理解出来ましたね

私が欲しいのは母親で、可愛い宝物として大切にされたかったんだなぁ

 

 

なんかそんな感じの話です。

 

 

人生を自分のものにしろ

 

てことで書きに来ました、最近寒ない?(北国並感)

 

今日のテーマはタイトルの通りです、書き始めたけど特に何書きたいか決まってないからゆるく書いていくね〜

 

 

誰かのために頑張ることやめたい

 

これは自分の性格なのか、はたまた刷り込みの賜物なのかわからんけど

自分が起こす行動の原動力って常に自分ではなく誰かになってる気がしてて

この誰かは不特定多数じゃなくて明確な一人の人間、例えば父とか上司とかなんだけど

「この人を助けたいからこれをする」「この人が機嫌悪いからこれは今やめておこう」とか

結構他人が原動力となってる。

助けてあげたいとか、力になりたいとかならまだポジティブだからマシなんだけど

悪い方向に考えれば、常日頃から他人のの顔色を見て生活してるって感じなんだよな

 

これってすごい損だなって思ってて、

みんなそりゃ社会で生きていくにはそれなりに他人の顔色も見なきゃいけないけど、私の場合は家族の顔色まで伺って生きてるから

自分がこうしたい、ああしたいは二の次三の次になってるんだよな

 

しかもこれ無意識なんですわ

 

振り返って考えれば、自分主体で考えて起こした行動ってあまりにも少なくてビビりました

いつからこんなんなのか、思い出せないから多分子供の時からなんだろうなと

 

自分がこうしたい、ああしたいっていう気持ちは

ない訳では無いんだけど実は結構薄くて

正直自分のために何かをしようと思い立っても何したらいいかわからんのですわ

 

困ったもんだね

 

 

これに気付いたのが比較的最近なんだけど

気付いてからはちょっと改善できないものかと試行錯誤してます

染み付いた思考回路を組み替えるのってなかなか難しいんだけど

この先の人生、一人で生きていく時に他人が原動力になるとしんどそうだなって

今から練習してる感じすね

 

 

何書きたかったのかわかんなくなっちゃった

わはは

そんな感じの今日この頃です

 

 

 

 

なぜ才能が欲しいのか考えた

 

2日ぶりだね。私です。

何個か前に書いた「強烈な才能が欲しかった」ってやつを読み返して、なぜ自分は才能が欲しいんだろうと考えたわけです

 

そもそもの人間としての性格とか趣味嗜好も関係あると思いますが、そんなん誰でも考えりゃわかることなのでそれ以外のことですわ

 

 

根強い「認められたい」の気持ち

 

 

おそらくあの「才能」に対する並々ならぬ渇望は、自分の根底に「認められたい」「見返したい」「許されたい」っていう気持ちがあるせいなのかなと

親ガチャの話でも書きましたが、お世辞にも愛されているとは言えない幼少期だったので

『褒められる』ということに飢えていたし、今も飢えていると感じてます

 

例えば、絵を描いたとき。

描いた絵を親に見せれば、一般的な親御さんであれば「じょうずだね」「これはなに?おしえて」など、子供を褒めたり、その絵に関心を示して「子供が描いた絵には価値がある」と言語化せずとも伝わるような行動をとると思うんです。あんま知らんすけど

 

 私の場合はそもそも絵を見てもらうという行為が出来ませんでした、関係が悪かったので

親との会話ややり取りの不足、機能不全家庭

そういう中で息を殺して生きてきた私は、その環境から解放された時に、ただ漠然と「褒められたい」という欲を抱えていました

 

あなたはそのままで十分素敵だ、宝物だと伝えられて育った大人と

複雑家庭サンドバッグの私とでは自己肯定感に雲泥の差があるってことですね

今回は親の悪口言うあれじゃないんでこんなもんでやめときます

 

そんなこんなで、アラサーになっても誰かに認められたくて、褒められたくて、褒められることで埋まらない穴を埋めようとしてるのかなと

 

じゃあ褒められるためには何が手っ取り早いのかといえば、人の目について目立つことなんすね、私にとっては

だから才能欲しいんだなって。子供だね。

 

 

まあまあこんな自己分析したとこで、穴が埋まるかといったら多分埋まらんし

そもそも不特定多数に認められたところで、結局親から受け取ることが出来なかった愛情はまた少し違ったものな気がするから

一生何かに飢えて生きてくのかなと思います

 

今の私に必要なのはママってことか(?)

 

 

そんな感じのダラダラ自己分析でした。

 

 

 

 

そういえば、何年やってるか分からない上に放置されてた時期もあるこんなブログでも

アクセス数20000こえてました

みんなどっから見てんの?よく見つけたね、ありがとう読んでくれて

 

これからも書きたいことがある時か病んでる時に更新していきますので

何卒よろしく〜

 

それではおやすみ

 

 

旅行

 

ども〜私です

しばらくこのブログのこと忘れてましたね

数年ぶりの無職でGW暇だったので兄と旅行行ってました

旅行いうても墓参りと母方の祖父母のとこに顔出すのが目的のあれですがね

 

墓も母方の実家も道東にあるもんで、道東メインにして観光しました

ずっと行きたかった知床に行けておら満足だ

 

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めちゃくちゃいい景色だったほんとに

天気も最高で、知床にしてはあったかくて

きれいな景色見てすごい癒されましたわ

野生動物もいて自然ってすげえなあと思いましたね

 

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摩周湖も見に行きました。

晴れの日に行くと婚期遅れるってジンクスあるらしいっすね

婚期おくれたわ。がはは

 

ほかにもあちこち見たんですが、とりあえずたぬき可愛かったです

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北きつね牧場のたぬきちゃん

飼育員さんにすごい懐いてて愛しかったです

外国のお客さんも夢中で写真撮ってましたわ

こんなまんまるで可愛かったら写真も撮っちゃうよね〜

 

 

あとはまあ4年振りくらいに墓参り出来て良かったですわ

花屋で働いてたら大型連休全部仕事なもんでな

墓遠いしどうしても行けんかったのじゃ、猫もおるからな

 

次の仕事は出来れば大型連休どれか一つだけでいいから休みだとうれしいな

まだ職探しすらしてないけどね

 

 

まあそんな感じです、たまにはこういうのもいいね

また旅行行きたいです

 

 

んじゃおやすみ

 

親ガチャ爆死した私が親ガチャについて思うこと

 

まとめてちゃんと読みやすくしようと思ったのですが箇条書きだけでメンタルがボロボロになったのでそのまま載せます、読みにくくてすまんな

 

 

 

 


不幸自慢のようで読んでいていい気持ちはしないと思うし、暴言がたくさん出てくるのできついと感じたらその時点で読むのをやめていただいて構わない

 


・自分は親ガチャという言葉の肯定派である

・自分は親ガチャ爆死した当人である

 


・自分の親について

生まれは小さな港町の漁師の家である

親同士の出会いは新興宗教を通じてのものである(自分は宗教二世である)

母の家系がうつ病精神疾患を患いやすい家系であった。

母が自殺した。

 


・親が起因となって自分に降りかかったこと

新興宗教にのめり込んでいる叔母が母の代わりとして同居し、家庭を支配するようになる

家の手伝いを強制された、当時小学3年生。

家の手伝いというのも、これをやれと指示されるのではなく「気付いて自分でやれ」というものだった。

例えばキッチンのシンクが汚れていたら磨け、食器が洗ったままカゴに入っていたら拭いて棚にしまえ、など

それをわたしは上手くできなかった、気付けなかった、指示して貰える方がマシだと子供ながらに思った。

手伝いが上手くできなければ遊びに行くことが許されなかった、叔母と同居していた5年間で遊びに行けたのは叔母が遠出する間の数日間だけだった。

最初は怒られても謝れば許してもらえた、だがそれもどんどん許されなくなっていった。私の謝罪も「ごめんなさい」という口頭のものから、最終的には泣き叫びながらおでこを床に擦り付けて土下座、というものになっていた。子供に土下座させる大人っているんだな。まあ許しては貰えなかったが。

「謝れば許して貰えると思うな」

口頭での注意が、怒鳴られるようになり、自分の失敗とは関係のない罵倒に変わり、食べ物を与えられないようになり(丸一日水一杯で過ごした日もあった)、風呂に入ることを許してもらえず(酷い時は一ヶ月以上入らせてもらえず、汚いと学校でいじめられた)

物が飛んで来て、目の前で自分の服が切り刻まれ、殴られ、髪を捕まれ放り投げられ、冬の北海道で夕方から日付が変わるまでトレーナー一枚で外に放置されたりもした(ちなみに部屋がいくら寒かろうとストーブをつけさせてはくれなかった)

もちろん家に金などなかった、ご飯を食べられてもふりかけご飯、もともとお風呂は週に2回

卵かけご飯が本当に贅沢だと思っていた、クリスマスも誕生日もなかったし、夕方のアニメも部屋から出るなと言われていたので見たことがなかったし、漫画も友達に借りたことがバレれば殴られたので読めなかった。読めたのは絵本作家の絵本と宗教の本だけだった。

普通の家庭が本当に羨ましかった、運動会のお昼ご飯も誰も見にきていないので、先生に黙って走って家に帰り適当にご飯を書き込んで学校に戻った。惨めだった。

服も穴が開けば買って一応貰えるが、選ばせてはもらえず知らない人のお下がりも着たし、学校に着て行く服も靴もどこか昭和くさくて、クラスの子達にダサい、卒業式まで空気読めない服着てくるんだなと言われた。うるせえバカ。

靴に穴が空いたので買ってもらったことがあった、珍しく古臭くない普通の靴だったので喜んで履いていたが不良品だったのかすぐ壊れてしまい、バレたら殴られると思った小学生の私は部屋にこっそり持ち帰りボンドでくっつけようとした(今考えればボンドでくっつけた所ですぐ壊れるだろうと思うのだが兎に角殴られたくなくて必死だった)が叔母に見つかった。意図的に壊したのだと決めつけられしこたま殴られた。結局殴るのかよ。

どうしようもなく死にたかった、殴るならこのまま殺してくれと思った

死ねと言われた、こっちだって死にたいと思った。これが小学校卒業するまでに自分の身に降りかかったことの一部である。

ここまで全て叔母にされたことで、「父は助けてくれなかった」

宗教上の立場の問題なのか今のわたしにはよくわからないが、今になって酔った父がいうには「ああしないと体裁が保てなかった」ということだ。公認サンドバッグ。

なんなら最後の方は父も一緒になって私のことを殴っていた。「味方になるから」などと口先三寸で慰められた直後のことだった。○してやると思った、心の底から。

 


ここまで叔母のことばかり書いてきて、なんとなくお察しの方もいるだろうがまあ実の父もろくでもない人間である。

 


アル中酒カス酒乱ジジイなのだ。

 


・母が存命の時から夜酒を飲んで暴れる、物を壊すなど日常茶飯事だった。もちろん暴言も。

叔母に支配されている期間は大人しかったが、叔母の支配から抜け出して父と兄と私3人で暮らし始めてからはまた酒カスになってしまった。

毎日毎日呂律が回らずフラフラと歩けなくなるまで酒を浴び、同じ話を何度もし、私たち子供はもちろん職場の愚痴など汚い言葉で1人で喋り続けた。

私が鬱で苦しんでいる時、酒に酔った父に意地の悪い嫌味を言われ、希死念慮に駆られた私の暴走で救急車が来ることもあった。兄がいなかったらとっくに父を○しているし私も死んでいることだろう。

酔いすぎて排泄がうまくいかず、トイレと廊下が糞尿まみれになっていてそれを私が片付けるということがあった、当時私は20歳だった

20にもなって60過ぎた親の不始末を片付けるということが惨めで、なんでうちの親はこうなんだと苦しくて泣きながら片付けた。

こんな感じなのだうちの大人たちは。

 

 

 

自殺した母、家庭を支配し虐待する叔母、見て見ぬふりをする酒カス父

家に金もない。借金がないだけマシだと今でも思っている。父が自己破産してくれていて良かった。ウン百万の借金があったのは大人になってから聞かされたことだった。

 


さて、ここまで読んでくださった方たちはどう思うだろうか?

自分の親と比べてどうだろうか?

私は未だに子供時代を思い出して泣くことがある、苦しさと希死念慮にかられることがある、27にもなる大人がだ。

これが果たして親ガチャ失敗と言わずなんと言えるだろうか。

 

 

 

 

 

 

というのが私の言い分です。

まあ確かに「過去を糧にして自分の力で未来を切り開け」たらそれほど素晴らしいことはないと思っていますし、自分もそうなれたらいいなと思います。

辛い経験があったからこそ他の人の辛さもよく分かりますしね。

 


さきにも書きましたが、私は本当に叔母と父を○してしまいたかった、それでも子供に大人が殺せる訳もなく自分の身体を傷付けて、首を吊る真似をして死んでいるように生きてきました。

自分が大人になった今ですが、子供に暴力を振るう人間の気持ちなんて分かりませんでした。

 


ここまで、そしてこれからも私は親のことで苦しみ続けるでしょう。親が死ぬまで、死んでも。自分が死ぬまで苦しみ続けます。過去は消すことが出来ないのですから。

 

 

 

暗くてすまん、消すかもしれないとだけ言っておくわね

 

強烈な才能が欲しかった

 

どうもわいです

考える時間だけは大量にあるので、色んなことを考えているんだけど

苦しくなってしまったので吐き出させてくれ

オチとかメッセージ性は皆無なので暇な時にでも読んでくださいな

 

 

 

強烈な才能が欲しかった

 

 

なんか大昔にも才能の話書いた気がせんでもないんだけど

それとはちょっと違った話になると思う多分

どっちかというと自己表現の話に近いかも

まあそんなことはどうでもよくてな

 

私には才能が無い

絵を描くのが好き、歌を歌うのが好き、楽器を弾くのが好き

好きだし、たぶん普通よりちょっと上手いくらいのクオリティに仕上げられる、すきだからたくさん練習したしね

でもそれじゃ足りないんだな

強烈な才能が欲しかったんだよなずっと

一発で人を惹きつけられるような何か

絵だったら絵柄とか手癖とか、歌だったらAdoちゃんみたいな、楽器はよくわかんないけどすげえ上手いみたいなね

そんなもんほんのひと握りの人間しか持ち合わせてないと分かってるけど

私もそれが欲しかったんだよね、喉から手が出るほど

 

絵を描いても自分より上手い人を見て心が折れてやめた

歌だって一生懸命練習した自分よりも友達の方が上手かったし

楽器はそもそも独学でやるには遅すぎた(これは別の記事にも書いてるから暇だったら呼んでくれ、縦笛の~みたいなタイトルだった気がする)

 

何もかもが半端で、だいたいにして人並みで、やりたくて楽しくてやってたことのはずなのにいつの間にか周りの才能と見比べて絶望して

悔しかったし苦しんだ、今も苦しめられている

 

楽しかった頃の気持ちを取り返したくて、毎日数枚絵を描いてるんだけど

筆が乗らないとすぐ辞めてしまいたくなる、才能も無いくせに何こんなに必死になってんだと

絵で生活できる訳でもないのにと卑屈になって、楽しめなくてまた苦しむ

 

もう無限ループなんだワ

 

 

 

色んな自己啓発とか自己肯定感あげるにはとか人と比べるの辞めるにはとか

そういう動画なりサイトなりみてるけど

すぐ変われるもんでもねえし苦しいことは苦しいんだ

絵を描くのなんか辞めてしまいたい、歌うのも楽器の練習も全部やめたい

でも、才能に触れると感化されて触りたくなる

届くわけもないのにな

 

 

っていうネガティブ500%の話でした

自己表現したい欲が強いのに自分の手元には表現し切れる才能はなかったってことです

 

拗らせババアすぎるってばよ

 

ちょっとスッキリしたから寝るンゴ~ぽや